プロヴァンスプリントのルーツはインド更紗で、これに自然をモチーフとした南フランス的なエッセンスが加わり、 「プロヴァンス文様」なる独自のプリント生地が生まれました。
インド更紗の基本的な技術が生まれたのが2千年以上も前ということですから、時にプロヴァンスプリントの起源もこの頃だと言われます。
昔ながらの製法を今日も守りながら製品を作っている歴史あるブランドでは(Vardrome,Les Indiennes de Nimesなど)、 このインド更紗の影響を良く見ることができます。
色の組み合わせやペイズリー柄などから、どこかオリエンタルな要素を感じるのです。
私たちの目に良く止まるオリーブやひまわり、ミモザ、セミ柄などのプロヴァンスプリントは「ネオスタイル」と呼ばれるようです。
15世紀のインド航路の発見以来、ヨーロッパでは東洋貿易が盛んとなり、インドに上陸したポルトガル商人によって、インド更紗がヨーロッパに伝来します。
16世紀、インド更紗はヨーロッパで珍重されて主要な国際商品となり、17世紀に入ると西欧諸国が設立した東インド会社によって、 ヨーロッパ人好みのトワルパント(捺染綿布)が現地生産され、本国へ送り出されるようになりました。
この色彩豊かで軽やかな、衣装にだけでなくインテリア装飾にも適した生地は、あっという間に人々を魅了し、モード現象ともなりました。
そして本国でインド更紗の模倣が試行され、独自のプリント生地が生み出されて行ったのです。
フランスでは、マルセイユで初の捺染綿布会社が創設され、プリント生地製造に必要な木版彫刻技術を所有していることから、トランプ製造業の職人が雇われました。
捺染綿布産業はプロヴァンス地方からフランス各地へ広がり、トワルパント(捺染綿布)は爆発的な人気となりましたが、王室の保護下にあったフランス国内の絹・毛織物産業を圧迫するという理由で、絹・毛織物業者から弾圧を受け、ついには1696年、インド更紗の輸入と国内生産を禁止する法令が出されてしまいます。
にもかかわらず密輸入までもが横行し、トワルパントの需要はさらに拡大していきました。
この動きを制圧しきれなくなった政府は1759年、禁令を廃止。それからフランス全土に捺染綿布工房(手工捺染工房)が増大。18~19世紀は、高品質で高級なトワルパントの工場制手工業が合理化された時期でもありました。
この代表的な大手製造工場に、Jean-Rodolphe WetterによるJean-Rodolphe Wetter et Cie(南仏オランジュ)、とChristophe-Philippe Oberkamf(パリ郊外ジュイ・アン・ジョザス)があります。
質の良いプリント生地の生産には澄んだ大量の水が必要なのだそうで、いずれもこの条件を満たす立地に工場が建てられています。
トワルパントは飛躍的な発展を遂げますが、産業革命後、機械生産による安価な綿布が大量に生産されるようになり、多くの手染め工房が経営難に陥り、姿を消していきました。
その後、ソレイヤード社(ソレイアード社)の復興(シャルル・ドメリーがソレイヤード社の前身である叔父から譲り受けた工房を1938年、ソレイヤード社として創設)や他ブランドの設立などで、プロヴァンスプリントの歴史は再び刻まれ続けています。