この動きを制圧しきれなくなった政府は1759年、禁令を廃止。それからフランス全土に捺染綿布工房(手工捺染工房)が増大。18~19世紀は、高品質で高級なトワルパントの工場制手工業が合理化された時期でもありました。 この代表的な大手製造工場に、Jean-Rodolphe WetterによるJean-Rodolphe Wetter et Cie(南仏オランジュ)、とChristophe-Philippe Oberkamf(パリ郊外ジュイ・アン・ジョザス)があります。 質の良いプリント生地の生産には澄んだ大量の水が必要なのだそうで、いずれもこの条件を満たす立地に工場が建てられています。 トワルパントは飛躍的な発展を遂げますが、産業革命後、機械生産による安価な綿布が大量に生産されるようになり、多くの手染め工房が経営難に陥り、姿を消していきました。